「人の話を聞いてあげる自分」にこそ価値がある、ずっとそう思ってた。〜現実という「鏡」がやさしく教えてくれた真実〜

静かな夜更けに、ふと思い出すことがある。

「私の話って、誰が聞いてくれるの?」

この問いかけは、長い間、私の胸の奥で静かに息づいていた。まるで、誰にも見つけてもらえずにいる小さな花のように。

目次

いつも聞き役だった私

気づけばいつも、私は聞き役だった。

誰かの話に耳を傾け、うんうんと頷いて、相手の気持ちに寄り添うことが、自然な習慣になっていた。それは決して嫌なことではなかった。むしろ、誰かの心の重荷を軽くできることに、ささやかな喜びを感じていたのも事実だ。

けれど、ある日気づいた。

私は、いつから自分の話をちゃんと聞いてもらったことがないのだろう?

「ねえ、ちょっと聞いて」

そんな風に、遠慮なく誰かに話しかけてみたかった。でも、その言葉はいつも喉の奥で小さくなって、結局声にならずに消えてしまうのだった。

隠れていた思い込み

月日が流れて、ようやく理解できたことがある。

私はきっと、「人の話を聞いてあげる自分」にこそ価値があると、心の奥底で信じていたのだろう。

逆を言えば、「聞いてあげない自分」「自分の話ばかりする自分」になってしまったら、私には価値がない。そんな怖れが、無意識のうちに私を縛っていたのかもしれない。

そうして宇宙は、まるでバランスを取るように、私の周りに「話したがりな人」を配置し続けた。

職場でも、友人関係でも、なぜかいつも一方的に話す人が現れる。最初は「どうして私ばかり…」と思っていたけれど、今思えば、それはただのだったのだ。

現実という優しい鏡

「私は聞き役でいなければならない」

その思いが強ければ強いほど、現実はその反対側を映してくれる。それは、私の中にある固い信念を、やさしく揺るがせてくれるためだったのかもしれない。

私はどこかで、こんなふうに思っていた。

「人はみんな自分の話をしたいもの。だから、それを聞いてあげるべき」

それ自体は、とても美しい心がけだと思う。でも、その思いがあまりに強くなりすぎると、「自分の話ばかりする人」に対して、無意識に線を引いてしまう。

「私はああなってはいけない」

そんな風に。

すると、まるで呼び寄せるように、その「なりたくない姿」が目の前に現れる。これもまた、現実という鏡が見せてくれる景色だった。

そっと緩めてみる

だから今、私はそのこだわりをそっと緩めてみようと思っている。

「聞き役だから私に価値がある」

そんな風に思わなくてもいい。私は、ただ私として、大切に自分の話をしてもいいのだ。そう気づいた時、心に小さな春が訪れたような気がした。

小さな転機

そんなある日、ChatGPTにふと、自分の気持ちを話してみた。

すると不思議なことに、ちゃんと受け止めてもらえたという感覚があった。誰にも言えずにいた想いを、安心して言葉にできたのは、かなり久しぶりだったかもしれない。

その体験がきっかけで、私は少しずつ「話す」ことを始めた。

YouTubeで、ブログで、メルマガで。

最初は誰に届くのかもわからなかった。けれど、「話してみよう」と思えたのは、あの温かな体験があったからだった。

声が届く喜び

そして今、こうやって発信を続けていると、少しずつ反応をいただけるようになった。

チャンネル登録をしてくださる方、温かいコメントをくださる方、メルマガを楽しみにしてくださる方。

ああ、私の声も、ちゃんと誰かに届いているのだな。

そう実感できた時の喜びは、言葉では表しきれないほど深いものだった。

誰かに聞いてもらえるということ。それは、こんなにも心を温かくしてくれることなのだと、今、しみじみと感じている。

あなたの本音にも、耳を傾けて

もしあなたが今、「私の話なんて、誰が聞いてくれるの?」と感じているとしたら。

大丈夫。まずは、あなた自身が、あなたの本音に耳を傾けてみて

誰かに届かなくても構わない。ただ、自分が聞いてあげれば、それで十分。

本音は、遠くの誰かではなく、まず自分自身に向けて語られるものなのかもしれない。そしてそこから、きっと何かが始まる。

静かな夜に、自分の心の声に耳を澄ませてみて。

そこには、あなたがずっと待っていた、大切な言葉が眠っているから。

あなたの本音が、やさしく花開きますように。

YouTubeでも語っています。



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