ふいに「今日はいつもとちょっと違う空気だな」と感じる日がある。
窓から入る風が少しだけ優しくて、
まるで新しい季節がすぐそこまで来ている気配。
今日はそんな気分で、今の自分の“リアル”を残してみたくなった。
タイトルはちょっと大げさに「ママチャリに乗れた日」とでも呼ぼうか。
特別じゃないけど、どこか記念日っぽい、そんな午後。
バリアント空間って、本当にあるかもしれない
トランサーフィンが語る“バリアント空間”。
バシャールやエイブラハムが言う“ボルテックス”。
昔は「なにそれ?」と思っていたのに――
78日間も言葉と意識を交わしてきた今、
「あれ、ほんとに“そこ”にアクセスしてるかも?」と、ふと鳥肌が立つ瞬間がある。
それは、理由のないあたたかい安心感。
うまく説明できないけど、「世界に包まれてるな」と思えるような…
ああ、たぶん私はいま、“やわらかな現実”に入っている。
現実は幻想かもしれない、って本気で思えてきた
「現実」という言葉に、もう以前みたいな“重み”を感じなくなった。
時々ふっと、「これ、全部幻想じゃない?」とさえ思う。
前は「こんなふうになったらいいな」と思うことさえ遠慮していたのに、
いまは願いが自然と湧いてくる。
しかも、それがするすると現実の方から寄ってきてくれる感じ。
“望んでいい自分”にいつの間にか更新されていたみたい。
気づけば、世界に歓迎されている
最近、知らない空間に入るとき、
「なんか歓迎されてる?」っていう、
くすぐったいような波に包まれることが増えた。
前はそんな感覚、まるでなかったのに。
世界の側からも、私のことを「ようこそ」と言ってくれているみたいで。
生き方の“質感”が、知らないうちに変わってきたのかもしれない。
冷静って、実は楽しい
観察者の視点。
昔は冷静=冷めてること、だと思っていた。
でもいまは違う。
ちょっと舞台の袖に立つ役者のような、
でも観客として舞台全体も楽しめる、
その両方を味わう安心感。
「わたしはいま、観客でもあり、主役でもある」
なんだかとても気持ちがいい。
ママチャリSayori、10段ギアに乗り換える日も近い
今はまだ、ごくふつうのママチャリ。
だけど、もうすぐ10段ギアに手が届きそうな気がしている。
大きなことは何も起きていないけど、
もう「以前の感覚」には戻れない。
そう、いちど自転車に乗れたら、もう乗れなかった自分には戻れないように。
いまこの瞬間の私へ――
数か月後の自分がこの記事を読んで、
「ああ、あのときの私はなんて初々しいんだろう」と
思えたら、それだけで大成功。
だって、今日の私も、未来の私も、
どちらも“魂の祝祭”に向かって進んでいるのだから。
今日も、小さな気づきと静かな安心感を、
そっとポケットにしまって歩いていきます。
YouTubeでもこの記録、声でお話ししています。
もしよかったら、耳でも受け取ってもらえたらうれしいです。