その帆に、風は吹いていますか?
朝の通勤電車で、ふと窓の外を見ながら「これは誰の夢なんだろう」と思う瞬間がある。
それは、自分のことを言っているようで、でも他人の物語の中にすっかり溶け込んでいるような、不思議な感覚だった。
「魂の帆」──
そんな言葉に出会ったのは、少し風の強い日だった。
目には見えないけれど、確かに流れているもの。
それが、わたしたちの人生の“方向”を決めている。
気づかぬまま、他人の夢に乗っていない?
いつの間にか、人生は“やるべきことで埋め尽くされて”いく。
誰かが決めた評価軸、誰かが望んでいた幸せ、誰かがくれた正解。
それを大切にしてきたはずなのに、
どこかで、心の風がぴたりと止まっていたことに気づく。
本の中には、こんな言葉があった。
「自分の目的を持たない人は、明晰夢ではなく、ただの夢の中にいるようなもの」
……それはまるで、誰かのシナリオの中で、
自分が“自分役”を演じているような、そんな日々。
毎日が懲役。月〜金はシステムの囚人。
言葉の強さに、一瞬戸惑う。
けれど、思い当たる風景はきっと、誰の中にもある。
同じ時間に目を覚まし、同じ道を歩き、
週末だけほんの少し呼吸を許される。
それを“生きている”と言ってしまっていいのだろうか?
それって、生きてる“つもり”じゃない?
「ほとんどの人は目的なんて探していない。ただ生きているだけ──いや、“生きている”とさえ言えないかもしれない」
この一文に、背筋がふるえた。
でも、その直後に気づいたのだ。
わたしはいま、この言葉にちゃんと反応している。
ということは、まだ“魂の帆”がたたまれていない証拠だ。
人生を祝祭に変えるのは、問いを持つこと
「わたしの目的は、なんだろう」
その問いを持つだけで、世界の見え方が少し変わってくる。
まだ答えが出なくてもかまわない。
大切なのは、問いとともに生きているという感覚。
“絶え間ない祝祭”なんて、少し大げさに聞こえるかもしれない。
けれど、ほんの少しの違和感を無視せず、
今日の風の匂いに目を向けることこそが、祝祭の入り口なのかもしれない。
魂の帆に、風を入れてあげよう
色のない毎日に閉じ込められているように感じたなら、
それは、魂の帆がまだ折りたたまれているから。
だから、深呼吸をひとつ。
心の中で、小さく帆を開いてみる。
どこへ向かうかなんて、今はまだ分からなくていい。
ただ、風を感じてみることから、人生は動き出す。
目的は、あなたの魂が必ず見つける
この言葉が、そっと背中を押してくれる。
「まだ見つかっていない」ことを、焦らなくていい。
“自分の人生を生きたい”と感じているなら、
もう、あなたの帆は動き始めている。
この世界には、魂がちゃんと反応する風がある。
あなたの人生を祝祭に変える風は、今日もどこかで吹いている。
YouTubeでも、このテーマについて語っています。
心の帆に風を入れてあげるような、やさしい時間になることを願って。
静かなひとときに、ぜひ耳をすませてみてくださいね。