私は、願わない。ただ意図する。
たとえば午後3時の静かな部屋で、何の脈絡もなく「この景色、好きだな」と思うことがある。
その瞬間、どこか遠くの未来が、ひとしずくだけこちらに染み込んでくるような気がする。
目的とは、そういうふうに「思いがけず決まってしまうもの」なのかもしれない。
熱望じゃなくて、意図
「いつかあんな場所に住めたらいいな」
そう願っていたころは、まだ“叶わない”前提の世界にいた。
でもある日ふと、「私はここに住む」と心の中で静かに決めたとき、
その瞬間から風向きが変わったのを感じた。
まるで、海図の端にあった島が、突然目の前に浮かび上がってくるように。
願うことは、時に“欠けている”ことの証明になってしまう。
でも意図は、すでにその世界に“足を踏み入れた者”の視点だ。
理性の焦りが、舵を狂わせる
「どうやって?」「本当に合ってる?」「失敗したら?」
そんなふうに問い続けるのが、理性の癖。
それはまるで、ずっと地図を眺めているうちに、出航のタイミングを逃す船長のよう。
でもトランサーフィンは言う。
理性の役目は“方法”を見つけることではない。
ただ、“意図した航路に戻るための舵を取ること”。
不安や疑いは、海面の風と同じ。吹いてくるのは自然なこと。
それを「感じながらも、進む」ことにこそ、意図の力がある。
魂が見つけた喜びに、理性が手を添える
わたしたちはまず、“自分の魂が喜ぶ方向”を見つけなければならない。
誰かの望む未来ではなく、自分だけがときめく世界。
そこへ向かうと決めたとき、理性は静かに役割を引き受ける。
「この道で合ってる?」と問い詰めるのではなく、
「ならばこうしてみようか」と、道を整えてくれるように。
まるで、信頼できる部下に方針を伝えた後の上司のように。
“任せること”とは、“信じること”。
魂の声を信じるなら、理性もまた落ち着きを取り戻す。
ルートは、後から浮かび上がる
“見通しが立たないと不安”なのが理性だけれど、
この世界では、順番がまったく逆だ。
先に「ここに行く」と決める。
すると、向こうから“行き方”が浮かび上がってくる。
まるで、霧の中から灯台が現れるように。
頭の中で、もう目的地に立っている自分の姿を思い描く。
それを、繰り返し、繰り返し、流し続ける。
それだけで、現実は静かに形を変え始める。
私は、望まない。願わない。ただ意図する。
この言葉を、誰かが先に読んでくれる。
その後に、自分の声で重ねて、心の中に落とす。
音の違いが際立つことで、意図の静けさと強さが際立つ。
「願い」はまだ叶っていない前提にあるけれど、
「意図」は、すでに叶っている景色を前提にしている。
ゴールのコマを、すでに流し始めている私たちへ。
あとはもう、理性に「大丈夫」と伝えて、
静かに舵を握り続ければいい。
YouTubeでも、このテーマについて語っています。
意図の静けさと力強さを、
あなたの心で味わえるように。
静かな時間に、どうぞ聴いてみてくださいね。