たとえば、SNSを見ていて、ふと思う。
「あの人は、なんであんなにスムーズに生きているんだろう?」
「私は、なんでまだこんなところにいるんだろう?」
その瞬間、心に生まれる“ザワザワ”。
それは、「世界が何か間違っている」と思いたくなる自分。
でも、今日のトランサーフィンのテーマを読んだとき、私はふと立ち止まったの。
「世界は、あなたの思考の色合いをそのまま映す鏡」
まるで静かな湖面のように、
この世界は、ただこちらの“思考の色”を映しているだけ。
だから、「鏡が冷たい」のでも、「世界が不公平」なのでもない。
反射しているのは、自分の無意識のフィルター。
「私の世界は、私にとってベストなものを選んでくれている」
そう意図してみると、急に風景が変わって見える。
鏡が曇っていたのではなく、自分の意識の光を少し変えるだけで、
世界はそっと微笑みかけてくるようになる。
「“足りない”が思考のクセになってない?」
私たちは、大人になるにつれて、
いつの間にか“満ちていること”よりも、“足りないもの”に目が向きやすくなる。
本の中にあった、**「子どもの要求はどんどん大きくなる」**という言葉。
それは、今の私たちの姿にもそっくり映し出される。
もっと稼がなきゃ。
もっと素敵に見えなきゃ。
もっと成功しなきゃ。
でも、その「もっと」は、いつ終わるの?
もしかしたら、世界がくれる“やさしいプレゼント”に気づけないのは、
“足りなさのメガネ”を外せていないだけなのかもしれない。
「“安心したい”って気持ちは、波動に現れる」
「ホッとするなぁ」「うれしいな」
そんな言葉を、心から口にできる時って、
自然と空気までふわっとやわらかくなる。
言葉にすることで、波動が整い、
その整った波動が、またやさしい世界を連れてきてくれる。
世界は、先に“安心”をくれるわけじゃない。
私たちが先に“安心”の波動を出すことで、
それが反射されてくる仕組みなんだ。
「今ある幸せに気づく人が、幸運を引き寄せる」
“もっともっと”と求める気持ちは自然だけど、
そこにばかり目を向けていると、
世界は「そうだね、まだ足りないんだね」と、そのまま映してくる。
だから、あえて、目を閉じてこうつぶやいてみる。
「今、こうして温かい飲み物を飲めるって、幸せ」
「今日もちゃんと目が覚めて、こうして生きてる」
「やさしい誰かの言葉が、心に残ってる」
そんな“小さな満ち足りた感覚”を丁寧に拾っていくだけで、
世界はまた、静かに色を変えてくれる。
「鏡は映像の内容を正確に伝えてくる」
「鏡は映像の内容を正確に伝えるだけであり、
それ以上でも以下でもないのです。」
この一文が、すべてを物語っている。
私たちは、もう誰かの期待や評価に振り回されなくていい。
ただ、自分がどんな“波動の絵”を鏡に映したいかを選ぶだけ。
それは、命令でも義務でもない。
やさしく“思い出すだけ”の行為。
今日も、あなたの思考が
やわらかく、あたたかく、世界を彩りますように。
YouTubeでもこのテーマを音声でお届けしています。
リラックスタイムに、ぜひ聴いてみてくださいね。