感じる

自分自身としっかりつながる方法

自分自身に対して、いつの間にか優しい視点で見ることができるようになった。

 

自分で自分をあたたかい眼差しで見つめる、応援する。

 

そんな感覚になれたことが、なんだかものすごく嬉しい。

 

だって前は自分のことが大嫌いだったのに。

 

なぜこのような感覚にいつの間にか変わっていったのだろう・・・と考えてみた。

 

 

自分の感じていることに対して、すべてOKを出せるようになったからだ。

以前はネガティブな感情を認めた瞬間に、奈落の底に落ちてしまうような恐怖があったと記憶している。

感情に蓋をするほうがよっぽど奈落の底へまっしぐらなのに。

 

私の感情に心から寄り添えるのは私しかいない。

それなのに私が「ネガティブな感情は良くないこと」として見ないふりをしてしまったら

話を聞いて欲しがっている「本音の私」のことを

「うるさい!黙れ!あっちに行け!」と追いやっていることと全く同じだ。

 

そんなことばかりしていたら

ある日、「小さな私」がうずくまって泣いているのが見えた。

唯一話を聞いてもらいたい「大人の私」に完全に否定されてしまって悲しんでいる「小さな私」

絶望してすっかりエネルギーをなくしてしまった「小さな私」

 

その映像が見えたとき、血の気が引く思いだった。

なんてひどいことをしてしまったのだろう・・・。

 

人間にとって一番つらいことは「無視」されること。

私は自分にそれをしてしまっていたのだ。

本音を無視することで・・・。

 

本音とは「本当」の「音」と書く。

本当の音を出さなくなると

体というものはウソをつけないから「声」が出にくくななって

体が私に「本来の道から外れてるよ」と教えてくれる。

 

このことに気づいたとき、愕然として涙が止まらなくなった。

「大人の私」はうずくまって泣いている「小さな私」を抱きしめながら言った。

 

今までごめんね・・・。

これからは何があっても私はあなたの味方だよ。

何があってもずっと一緒だよ。

だから安心して。

これからは「今この瞬間どう感じたか」ぜんぶ話してほしい。

それが私とあなたを強く結びつけることだから。

 

「自分自身としっかりつながる」ということは

つまり

「ソース(源)としっかりつながる」ということ。

 

もっと正確に言うと

私たちはみんなソース(源)からの枝分かれの一部だから

私たちがソース(源)そのものなのだ。

だから、そもそもつながりが絶たれることはあり得なく

いつでもつながっている。

 

ただ、私たちはそれを忘れてしまいがちなだけ。

 

ソース(源)のエネルギーは愛と喜びでできている。

ということは、私たちも愛と喜びの存在。

 

だから、自分自身を否定したり

他人から否定されたと感じたりすると嫌な気分なる。

 

嫌な気分は、本来の私たちの姿であるソース(源)のエネルギーとはかけ離れているから。

 

「嫌な気分」という感情をとおして、ソース(源)が教えてくれている。

 

そして、さらにいうと

私たちが自分を否定したり、感情に蓋をしたりしていることすらも

ソース(源)は全肯定してくれている。

それすらも愛と喜びの眼差しで見てくれている。

決してジャッジされることはない。

 

私たちがすることは、ただ思い出すことだけ。

ソース(源)は愛と喜びの眼差しで、私たちを全肯定してくれていること。

そして、本来の私たちはソース(源)そのものであること。

 

そこからずれてしまったときは「嫌な気分」「モヤモヤした気分」などの

「感情」をとおして教えてくれる。

感情は素晴らしいナビシステムなのだ。

 

この素晴らしいナビシステムを搭載している私たちは、もはや無敵。

 

「嫌な気分」「モヤモヤした気分」を感じたら

そこから少しずつ視点を変化させていき

「ホッとした気分」になれたら

ソース(源)の視点で自分自身を見ることができたということ。

ソース(源)のエネルギーに戻れたということ。

 

今日も私は

朝コーヒーを飲んでホッとして

猫のお腹に顔をうずめてホッとして

大人になってから始めたバレエのレッスンに

内側は「ホッとした気持ち」で、行動ベースは集中してチャレンジを楽しむ。

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