【Day17】78日間トランサーフィン実践マニュアル〜罪悪感〜「罪悪感という名の鎖を、そっとほどいて」

自分を責めるクセがあることに気づいたのは、ある日のことだった。
何気なく口にした「ごめんね」の一言が、なぜか妙に重く響いた。
あれ?謝る必要、あったかな?
――その問いが、私の“ある無意識”に光を当ててくれた。

今日のトランサーフィンのテーマは「罪悪感」。
それは、私たちがもっとも知らぬ間に“現実を濁らせる”エネルギーかもしれない。


目次

「罪の意識がなければ、罰はなし」

この一文を読んだとき、心のどこかで何かがパチンと外れたような音がした。

「え?本当に?」
「じゃあ、あの時の私は罰せられなくていいの?」
…少し戸惑いながらも、ゆっくりと胸に落ちていった。

私たちは、小さな頃から“罪と罰”の概念の中で生きてきた。
悪いことをすれば怒られる。失敗すれば責められる。
でも、トランサーフィンはこう言う。
「罪悪感は、あなたの現実に“罰のストーリー”を招き入れる」と。

つまり、“罰のない世界”は、私たちの“意識の中”から始まるのだ。


正当化の癖、謝罪の習慣をほどく

私にもある。
つい言い訳をしそうになる自分。
つい相手の顔色を見て、「私が悪かったのかも」と思ってしまうクセ。

でも、それって本当は、“ただそう思い込んでるだけ”かもしれない。
この章で一番ドキッとした言葉がある。

「今までやっていたようなお決まりの反応をしなくなれば、操る側は徐々に手を引いていく」

――これを読んだ瞬間、体の芯がスッと冷えて、そしてじんわり温かくなった。

罪悪感って、誰かが私に植えつけた感情でもあり、
同時に、私が“自分を守るため”に持ち続けてきたものでもあったんだな、と。


返さなきゃ、応えなきゃ…の呪縛から自由になる

「何かをしてもらったら、返さなきゃ」
「助けてもらったから、応えなきゃ」

こういう思考って、社会的には“礼儀”や“美徳”とされているけれど、
それが重荷になって、自分を追い詰めてしまうこともある。

この章では、「まずは自分の日々の行動を観察する」ことが提案されていた。
無理やり“許そう”とか、“ポジティブに変えよう”としなくていい。
ただ、自分のパターンに静かに気づいていく。
この“気づき”こそが、罪悪感という鎖をほどく最初の一手になるのだと思った。


私の魂には、もう罰はいらない

トランサーフィンの終盤には、こんな言葉があった。

「自分を正当化しないようにすれば、物事はあるべき姿になる」

これは、“何もしなくていい”という意味ではない。
むしろ、肩の力を抜いたときに、
本当に大切な行動や選択が、自然と“あるべき形”で訪れる、という感覚。

もう、自分を裁かなくていい。
もう、許しを請わなくてもいい。

私は私のままで、ちゃんと価値があって、
もう“罪”を演じる必要なんて、どこにもないのだ。


今日もまた、ひとつの“思い込みの鎖”が解かれた気がする。
私の心のスペースが、ほんの少し広くなった。

そして、こんなふうに日々ひとつずつ、
自分を軽くしていけることが、とても愛おしい。

YouTubeでもこのテーマについて語っています。
音声で聴きたい方は、ぜひこちらからどうぞ。

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