【Day18】78日間トランサーフィン実践マニュアル〜自己価値〜「“私には価値がある”は、証明じゃなくて、在り方だった」

「私には価値がある」
この言葉を、ためらいなく口にできる日は、どれくらいあるだろう。

私たちは、自分の価値を“誰かに認められてこそ”と考えがちだ。
だから、つい何かを証明しようとしたり、
自分をよく見せる方向へと無意識に力が入ってしまうことがある。

でも――
トランサーフィンのDay18は、そんな流れに静かにストップをかけてくれる

「価値は、証明するものではない。
 むしろ、手放したときにこそ、その本質が浮かび上がってくる」

この一文が、今日の心の中心にそっと降りてきた。


目次

自分を“よく見せる”努力を手放してみる

私たちは、つい自分を強く見せたくなる。

「こんな実績があります」
「こんなこともできます」
それが決して悪いわけじゃない。けれど、それを“しない選択”をした人に、
人はなぜか自然と惹かれていくことがある。

トランサーフィンでは、それを“フィードバックの逆回転”と表現していた。
意識的に、価値を証明する動きをやめてみる。
すると、“言わなくても伝わる”という静かな信頼の連鎖が始まっていく。


他人の自尊心を守る、という静かな叡智

今日、私がもっとも深く頷いたのはこの一文だった。

「他人の自尊心を決して傷つけないように気をつけてください。
それを肝に銘じておけば、多くの問題を回避することができるでしょう。」

この言葉には、人生経験を通して得た叡智が詰まっているように感じた。

人は、傷ついたときよりも、“顔に泥を塗られた”と感じたときに、深く恨みを持つ。
つまり、自尊心を潰されるという経験は、それほどに根深い影を残す。

そしてその多くは、
“自分を立てようとした時、結果的に誰かを下げてしまった”というケースなのだと思う。

マウントを取らない。
でも、自分の誇りは静かに持つ。

それこそが、王国の秩序を守る“女王の所作”なのだと私は感じた。


自己卑下ではなく、“満ちている”という在り方

もちろん、これを“自己卑下”と勘違いしてしまっては本末転倒だ。

「自分なんて…」と振る舞うのではなく、
“もう十分に価値がある”という感覚に、自分の中でちゃんと腰を下ろしている状態。

その静けさは、何よりも美しく、安心を与える。
それはまるで、王国の中央にたたずむ湖のように、澄みきっていて動じない。


本物を見抜ける目を、自分にも向ける

「本当に価値のある人」
それを見抜ける目を持ちたい。
けれどまずは、自分の内側にある“本質”を見抜く目を育てていきたい。

日々、自分の魂を磨いていく。
そうすれば、自然と確信が生まれてくる。

そしてその確信が、何も語らずとも、あなたのまわりに静かな“場”をつくっていく。


今日のワークは、どこまでも静かで、でも揺るぎない力を持っていた。

自己価値とは、誰かに見せるものではなく、
ただ、自分の中に“在る”ことを知っている静けさなのだ。

YouTubeでもこのテーマについて語っています。
音声で聴きたい方は、ぜひこちらからどうぞ。

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