「“私は今日、魂と理性の一致を意図します”―― そのひとことが、流れを変えていく」
目を覚ました瞬間、
思考はもう、走り始めている。
洗濯物、返信、ちょっとした心配ごと。
気づけば、内なるミキサーが“ガーッ”と音を立ててまわっている――
それが、いつもの朝。
でも今朝、私はふと思った。
「私は、今日、魂と理性の一致を意図します」
この一言を口にした瞬間、
まるで脳のなかのチャンネルが“パチッ”と切り替わるような感覚があった。
思考は、放っておくと彷徨う
トランサーフィンのDay22は、こう語っている。
「思考を暴走させずにコントロールすること。それが現実を効果的に形作る第一歩」
言われてみれば、私たちの頭の中って、
常に何かしらのテーマが流れていて、しかもそのほとんどが意図のない思考――
つまり、どこにも辿り着かないまま、漂っているだけ。
そしてその思考の“漂流”に、私たちの行動や感情までもが引きずられていく。
“意図”は、思考のコンパスになる
自分の思考に方向性を与えるというのは、
単なるアファメーションとは少し違う。
それは**“自分が何を選び取るかを決める宣言”**であり、
“現実のスイッチ”を押すような行為なのだ。
たとえば、
「私は、今日、魂と理性の一致を意図します」
この一言を朝に口にするだけで、
その日一日のすべての流れが、そこに集約されていくような感覚がある。
目的に向かうエネルギーが整い、
気持ちが曇りそうなときも「意図」に立ち戻れる。
声に出すことで、脳の軸が定まる
ゼランドはこんな提案をしていた。
「思考の方向性を声に出して宣言しよう」
「それが、脳のチャンネルを定め、現実の具現化を早める」
最初はなんだか気恥ずかしいけれど、
やってみると、その効果は想像以上だった。
言葉は空気に放たれた後、
“もうひとりの自分”に跳ね返ってくる。
それを聞いているのは、自分自身の潜在意識。
だから、ただ思うよりも、口にすることに意味がある。
思考のミキサーを“止める”だけで、世界が整い始める
私は最近、「これは思考の沼だな」と感じたとき、
ふと立ち止まって、自分にこう言うようにしている。
「いま、私は意図を思い出します」
「私は、自分の方向性を選びます」
これだけで、不思議と視界がひらけてくる。
そして、その後にする行動が、格段に軽やかになる。
疲れが減った。
焦りが消えた。
自分のエネルギーが、ぶれなくなってきた。
“思考を制する者は、現実を創る”
ゼランドの言葉はいつも核心を突いている。
暴走する思考に主導権を渡してはいけない。
目的に集中すること。
でもそれは、力んで一点を見つめることではなく――
「私は今日、こう在る」と意図を定め、軽やかに歩くこと。
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シャワーのあとに。
手帳を開くときに。
深呼吸をするその前に。
ひとこと、意図を口にするだけで、
世界の風向きは、たしかに変わり始める。
YouTubeでもこのテーマについて語っています。
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