たとえば、今、目の前にひとつの問題があったとする。
「どうしよう」と思った瞬間、私たちはすぐに“解決”しようとしてしまう。
チェックリストを頭の中に並べて、あれやこれやとシミュレーションして…
気づけば、理性がぐるぐると、歯車のようにまわり始めている。
でも、本当に必要なのは、それじゃなかった。
「流れに身を任せれば、驚くほどスムーズになる」
トランサーフィンでは、
“理性が考えすぎるほど、流れからズレていく”
と教えている。
自然界を見てみれば、川は直線的に流れない。
大木は、風に逆らって真っすぐ伸びるより、しなやかに揺れながら成長する。
無駄な力をかけずに、でも確実に、生命は流れていく。
それと同じように、私たちの現実にも「バリアントの流れ」と呼ばれる最適ルートがあるのだという。
それは、何もせずボーッとしていれば勝手に運ばれていく…というような“怠け心”とは違う。
大切なのは、「抵抗しないこと」。
言い換えれば、自分の理性が余計な壁を作っていないかに、ちゃんと気づくこと。
「一番シンプルな方法は、いつも目の前にある」
“メガネメガネ”って、よくネタにされるあのコント。
おでこにかけたメガネを、部屋中探しまわって「どこ行ったの〜!」と騒いでいる、
あれこそまさに、バリアントの流れの象徴かもしれない。
探している時は見つからないのに、ふと力を抜いた瞬間、
「なんだ、こんなところに…」と、すぐそこにあったりする。
あれって、目の前のシンプルな答えに、理性が気づけない状態だったってこと。
焦れば焦るほど遠ざかるのは、恋も同じかもしれないけれど、
“問題解決”においてもまたしかり。
自分でごちゃごちゃにした計画が、かえって現実を複雑にしていたとしたら――
勇気を持って、理性の「こうするべき」を手放してみてもいいかもしれない。
「気遣ってくれてる世界が、解決策を知っている」
昨日のテーマにもあった言葉――
「私の世界は、私のことを気遣ってくれている」
これを信じると、不思議と心がふっと軽くなる。
焦っても、急かしても、世界は壊れたりしない。
むしろ、“信じる”ことを思い出した時、世界は静かに動き始める。
問題を無理やりこじ開けようとするのではなく、
もうすでに用意されている“優しい答え”に気づく。
それは、思考の産物ではなく、“感受性”の領域にある。
私たちは、ときどき「自分がどうにかしなきゃ」と思い込んでしまうけれど、
それは世界を信じきれていない証でもある。
そして、それは何よりも、自分自身の魂にとってつらいことだ。
「答えは、すでに世界の中にある」
どんなに悩んでも、
どんなに頭をひねっても、
それでも出てこなかった答えが、
ふと目を閉じた瞬間に“降りてくる”ことがある。
あの静けさこそが、バリアントの流れ。
必要なのは、“気づき”だけ。
これまでの人生でも、
「もう無理…」と諦めたあとに物事がスムーズに進んだ経験、ありませんか?
それこそ、流れに逆らうのをやめた瞬間。
「自分で頑張る」をやめることは、
「世界を信じる」のはじまりでもある。
「いちばん簡単な道が、いちばん優しい道だった」
私たちは、なんとなく“努力しないと価値がない”と思い込んでいる。
でも、それってほんとうに真実?
いちばん簡単な道が、いちばん優しく、
いちばん自然で、いちばんあなたらしい道だったとしたら。
あなたがいま、がんばりすぎているなら、
ほんの少しだけ、肩の力を抜いてみてほしい。
メガネを探す手を止めて、鏡をのぞいてみて。
そこにはちゃんと、“ある”という答えが映っているから。
YouTubeでもこのテーマについて語っています。
音声で聴きたい方は、ぜひこちらからどうぞ。