「これ、やって何になるの?」
「そんなことで生きていけるの?」
そんなふうに、自分で自分の情熱にブレーキをかけたこと、あるかもしれない。
誰かに笑われるかもしれない。
役に立たないかもしれない。
でも、心の奥では――「でも、これが好きなんだよな」って思ってる自分がいる。
「それ、あなたの“扉”です」
トランサーフィンでは、目的地をイメージし続けていると、
“外的意図”が自然とチャンスを運んでくれると言われる。
でも、もし途中でどうしようもなく疲れてしまうなら――
もしかしたらそれは、自分のものじゃない扉を、無理やり開けようとしてるサインかもしれない。
誰かの正解や、社会的な「意味」ばかり追いかけていたら、
鍵はどこにあるのかさえ、わからなくなってしまう。
本当に開きたい扉は、“自分が気づかないくらい自然に手を伸ばしてるもの”の中にある。
「“やる気が湧く道”を選んでいい」
「これをやってると、気づいたら時間が経ってる」
「別に評価されなくても、なんだかやっていたい」
その感覚があるなら、それはもう“あなたの道”の一部。
“好き”って、何かを証明するための手段じゃなくて、
魂が発している、静かなYESなんだと思う。
高揚感、没頭感、心地よい充実感。
それが少しでもあるなら、それで十分。
その手応えは、あとから「これでよかったんだ」とわかるようになる。
「魂を込めたものには、必ず価値がある」
「この世界では魂を込めて行うことには全て価値があります。」
この一文には、心が揺れた。
誰かにとっては取るに足らないことかもしれない。
でも、誰かが“魂ごと”それをやっている姿って、
見ている人の心を、なぜか震わせるものがある。
評価されなくても。
正解じゃなくても。
それが“あなたから出てきた何か”なら、
その行為には、確かにエネルギーが宿っている。
「“どうってことない個性”が、鍵になる」
「それって趣味でしょ?」
「ただの自己満足じゃない?」
そんなふうに言われることの中にこそ、
自分の扉を開く“鍵”が隠れていることがある。
大事なのは、“誰がどう思うか”じゃなくて、
「自分がどう感じているか」。
小さな“好き”。
ちょっと気になること。
なんとなく続いてしまうこと。
その感覚の先にこそ、
人生が少しずつ動き出す場所がある。
「あなたの人生に、“意味のないこと”なんてない」
だから今日は、
ほんの少し、“好き”に正直になってみてほしい。
「意味があるかどうか」は、
やってみた後にしか見えてこない。
でも、魂が心地いいと感じる瞬間は、
すでに“意味”そのものなんだと思う。
疲れる扉じゃなくて、
心が静かに熱を持つ方へ。
あなたの“ちょっと好き”が、
世界を変える扉になるかもしれないから。
YouTubeでもこのテーマについて語っています。
音声で聴きたい方は、ぜひこちらからどうぞ。